2010.07.12
デザインのクライアント。
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木曽のお菓子、朴葉巻きをご存知でしょうか。
写真の朴葉巻きは、買い求めたのではなく、仕事の打合せでいらした
林友ハウス工業の竹腰常務が「母が包んだので」と頂いたそれ。
朴の香りが染み込んだ米粉の柔らかな餅の中にはいったアンコ。
大好きなお菓子です。この季節だけの、贅沢な、強い、土地の味覚。
圧倒的な強さ。圧倒的な美しさ。それを実現する、技。
出産と育児の為に里帰りしているヨメと娘に会いに
1ヶ月振りに広島へ向った週末。
行き帰りは「特急しなの」と「新幹線のぞみ」。
仕事の疲れもたまっていたりして今回は運転を断念。
道中はもっぱら、スケッチと新聞で情報収集。
世相を知りたくて週刊新潮を購入した。
連載エッセイの「あとのまつり/渡辺淳一」
取材で全国の旅館やホテルをみている視点で言葉がありました。
「もっとも不満に思うのは、部屋のつくりが、泊まる人よりもデザイナーの意志を優先しているところ」
全てのデザインは、使う人の為に。
使われるモノは、空間にしろイベントにしろ(敢えてモノと言う)、もちろん使う人の物。
デザイナーの意志は、その延長に存在するべき。
ユーザーがその瞬間にわからない場合もあって、
工芸に至ってはわかってもらうまでに数年、数十年を
要する場合もあるかもしれないけれど。
そこを無視した物作りは問題というか、欠陥だと思う。
あたりまえか。
渡した瞬間におわってしまうモノだけは作りたくない。
あとは、ユーザーが勝手にすれば良い、と言うスタンス。ダメだよね。
帰って来て、未読のメールに取組んでいるうちに
エバンスの「A House Is Not A Home」がiTunesから流れて、そうそう、と思った。
話を件のエッセイにもどすと、
話題は和風旅館(和風旅館とは曖昧な言葉だけれど)にうつって、
座卓、畳、布団など、日本の居間の要素が「使いづらい」と評価され
「70代はもとより、60代のひとたちも、畳の上に座っているのはかなり辛くて苦しい」
とされている。
もちろん、和室の良さも挙げられていて
「雰囲気が優しく柔らかい」ところや、障子、襖、物置や掛け軸にも
「それなりに風情がある」と希望がみえつつ、
西洋化の合理化に慣れた上で、
「高齢化が進み、和が使いにくくなっている」と致命的。
和式トイレに至っては「全くつかえない」と、決定的。
和風の良さを活かして
西洋の便宜性をとりいれた、
あたらしい和が必要だと結んでいらっしゃる。
なるほどね。
妻の実家は完全な日本家屋。
父の設計である僕の実家は築26年とはいえ、和室は一切ない。
その代わり、建具のバリアフリーを実現している
当時の常識とは違えども、優しさによって形作られている。
その両者をいったりきたりしながら、
僕はまた今日から、
新しいテーブルと椅子とベンチの制作に励みます。
考えてます。
考えていますよ。





