2008.10.26
庭_秋_小さな滝で・・栗の樹の根本から・・
(0) (0)
工房から南西、鉢伏山方向150メートルは、落差40メートルほどの斜面になっていて、いつ頃芽生えたものか、中ほどに大きな栗の木が二本僕達の過ごす時を見守り、その幹の根元にたえまなく水が湧き出ている。
細い流れはすぐに土に吸い込まれて、大きな山辺石の隙間から再び流れ出したあたりに、昔、秀男と池を作った。
そこには小さかった子供達が大門沢で掴まえた岩魚が長く住み着いていて、このごろでは夏に遊びに訪れる子供達が素手で掴まえたり、犬達が水浴びをしたり、スイカやビールが冷やされたりしている。
「太ってしまった池の岩魚たち」
やはり清流にいるべきだ・泣
水が土に浄化されて再び湧き出るあたりに、五、六年前小さな滝を作った。
組んだ石段にほんのりと苔がつくころになると、移植した山モミジの枝が葉を繁らせるようになり日陰を作ってくれたので、昨年から好きな山草を育てている。
何度か失敗したキイジョウロホトトギスという植物は、朝日があたり、日中の日差しが葉陰にゆるく、西日が陰り、空中湿度が高い場所に自生している気むずかしい植物なのだが、今夏は見事な花を見せてくれていた。
左側の石組みのやや上のあたりに植え込んだ白山石楠花は、鎌倉で父が育てていたもので、平均気温が上がってこの土地に慣れたのだろう、20年を経て、そよとした品のいい花を毎年つけるようになって馴染んでいる。
くじゃくシダも環境を選び、自然に育てようとすると思いのほか苦労するが、いまでは滝の廻りにすっかり根をおろし、ほかの妙に勢いの強いさまざまな美しい植物も、敏感なものたちとみごとなバランスを保ちながら有終の美を奏でて、美しい秋を楽しませてくれている。
庭はもうすぐ雪に覆われるのだが、わずか数ヶ月後に彼らは、目を見張るような春の陽光に葉を輝かせて復活することが確実なのだ。
庭仕事に疲れ、手製のベンチに腰を掛けビールの香りに目をつむると、そういった水や空気や、限りない生き物たちのいのちの気配が僕を幸せにする。
目に見えるまわりは、昔からの決められたサイクルを疑うことなく、課せられた時をただ歩み、死を恐れて慌てることもなく自然に忠実に、たしかに四季を営んでいるのだが、なぜか人間だけは仮想空間に遊んでいて急ぎ、不安におののいたりしている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
