2009.01.27
修・破・離_伝統と創造_若者たちへ
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「仕事の椅子」2009 冬_庭で
「修・破・離」は世阿弥の残した教訓で、僕も弟子達に伝える
書道でいえば、楷書、行書、草書で、真行草、真善美にも通じている
僕のやる通りにやるんだよ、と教えるのだが、それは資質を問うていわば受験に似ているのだが、しかし正しいとは限らないのだ
ゆえにそこに、これからの若者たちの未来、夢、活躍、生きる意味が存在している
日本の歴史も同じくで、お手本はインドや中国だったり、明治以降は自由平等の女神を象徴にしながら迫害したエスキモーやインディアン、それから黒人問題を解決できないままのアメリカをとりあえずそっくりに真似をしてきたのである
政治経済、医学、教育、今の世のすべてというのだが、そんなことより僕達にとってなにより大切な家庭というものを、若者をひきあいにしながらそれが誤りだったと大人が自分達の軽薄無責任を指摘していて僕は大変可笑しい

「深見昌記君」初めての個展 2009年一月名古屋にて
弁証法というのは、ものごとの持つ矛盾した二つの面 、要素、見方の尊重であるが、方寄りや後戻りや折衷ではなく、新しい考え方や新しい形へと向かう過程である
現代の僕達の仕事において、手段としては手と機械、感覚として自分たちと違う世界を尊重しながら、かってないものごとを作り上げていくのだが正しいのかはいつも僕にわからない
しかし伝統とは、いつの時代にも正しくて美しいかたちとして残され証明されている
ゆえに修め、巨大な遺産としての伝統に圧しつぶされながら、僅かな糸口を夢のありかとして日々の仕事を楽しみながら命を賭けているのだ

