2009.05.08
ミュージックキャビネット_1989年製
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30歳頃まで日本で使われる伝統的な調度、飾棚、文机、硯箱、色紙箱などを作っていた。日本工芸会の正会員に認定されたのは1976年、28の歳で順調な歩みといわれたが、しばらくして公募展に出品することに興味が薄れてしまったのは工芸の仕事が自分たちの生活からかけ離れてしまっていると感じ始めたことからだった。床の間、畳、障子が姿を消して日本が西欧化に歩き始めたことが要因となっている
そんな折り長く美術工芸に携わっているN氏から銀座和光での個展開催のお誘いを頂戴した。広い会場を一人で埋めるための作品作りは経済的にもただならないことで思い悩んだが、僕の公募展での受賞のための作品作りへの興味はすでに薄れていた。1989年の初個展には長い間作りたかったダイニングテーブルや椅子などとともに、好きなステレオを作る夢がようやく叶った。しかしこれは美術工芸や指物ではないなど酷評をいただくことになった

「S邸のミュージックキャビネット」
反射板を開閉するための金物は凝った設計だったが、オフイス家具メーカー勤務時代に可愛がって頂いていた下請けの鍵製作所のK社長の工場で制作の教えを請うて実現。そのころにはどうやら一人前になった鉄の仕事を生かして移動出来るキャスターをつけ、真鍮の笠をまとった8Wの豆ランプが、側面三角形のボックスに階段状に収納したCDケースを照らしている。
この写真は後年のもので Ipod で鳴らしているが、制作時はソニーのCDウオークマンをケンウッドの魅力的な小さなアンプA-M70で鳴らしていた。その後長くお付き合いをさせて頂いているY嬢が神戸で震災前まで経営されていたお店に置いて下さり、計五台を制作させていただいた。
僕は、ものが人や人間関係や地球環境をつくりだす状況に制作の喜びと責任を感じている。
音楽のいれもの・ミュージックキャビネットは修理の出来ない機器類を現行BOSEのアンプなどに交換してよみがえり、今もさまざまな楽しい話題を提供してくれていて、権威や名声よりも魅力的な、自分の好きな仕事をみつけだしてどうやらつづけていられることに感謝している。そして職人は貧乏だが、ブラームスの好きだった父がいいものを見分けて長く楽しむ豊かさを教えてくれたのだと思っている

お店へみえる多くのお客様に・・
「東京池袋・キッチンエビスでチークとベンゲのフロアランプと」

