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指物師の道具箱1_鉋 小鉋 豆鉋

2013.08.07

「龍」4 堤朋一さんと前田保三のこと

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河野雄太さんからメールをいただきました

おかげさまで当時の東京刃物のことなどがよくわかりました。僕と同じ三代にわたって龍が健在でうれしいです。堤さんこれからも美しい日本の鉋刃を打って下さい。

ありがとうございました


クリップ.jpg

左の花押から作者は埼玉県浦和市で鍛治をされていた龍進斎、堤朋一さんの物だと思われます。

添付しました写真の銘は誠龍と読みます。

ですからブログにアップされていた鉋刃の銘は龍で正しいかと思われます。

写真は他の方のブログから拝借いたしました

河野雄太 <ourgerain@gmail.com>



ryu.jpg
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男盛り銘の鉋で有名な堤朋一(つつみともいち)氏は主に昭和に活躍した鍛冶屋で、関東では有名な鉋でした。現在でも三代目が男盛りを作られています

火造りを担当されていた堤せいじ氏は戦争で片腕の自由が利かなくなり片腕で火造りをしていましたので戦後の物は見た目には荒い造りになっていますが、通常では考えられない事で、腕の立つ方だったと推測できます。


龍進斎 堤朋一(堤鉋製作所) http://www5e.biglobe.ne.jp/~ttoishi/sub46.html


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yasuzo.jpg

父 保三 昭和15年 1940

伊豆白浜神社への奉納額完成を祝って


当時若僧の僕は、東京駅から千葉県八幡宿までのディーゼル機関車につながれた客車で「室内」を開いて有名な鉋鍛冶千代鶴の連載を読むのを楽しみに通勤していました。「千代鶴が切れない」と言っていた父の技量の大きさがこのごろようやくわかる歳になったので偶然残っていた鉋刃龍を使いこなして親孝行しようと思います。(刃物は切れるほどよく使われて姿を消すものですし、使いかけが残っていても使い手の修練が出来ていなければ美しい形は損なわれてしまいますので刃物に骨董品はないのです)
工人らしく名より実をとる仕事に厳しい師匠で早くに妻に先立たれ、皆に口うるさいとけむたがれていましたが、お得意さまへの納品にはじまり、東京湾ハゼ釣り、夜の銀ブラなどなど、どこにでも僕を連れ歩きいいものを食べさせ見せてくれ、言葉使いやお作法や行儀や、人が生きるセンスを僕はお客様や父に教わり身につけたのだと思います。今の東京では考えられない大きな欅の植え付けを庭でやっていた世田谷の邸宅へ納品に連れて行かれたおりの帰りの車中、あの方の植えていた欅は、根本の小さな山草のために日陰を作ってやるためなんだよ、などとスケールの大きな自然の話をしてくれた覚えがあります。
筋の通った職人の生き方がお金と縁が薄いのは良心に恥じない長く使える美しい仕事を目指すからですが、本物を使えばすべて解るといった江戸気質ありて現在も作品とともに龍」あり、家族みなに大切なこととはなにか教えてくれた父であり師である保三の深い愛を身にしみて感じています

 僕が生まれた年に父達が作った「木彩会」は未だに続いていて僕が会長を務めていますが、箱根での写真のお仲間の名前がおわかりになる方は、恐れ入りますが以下の私宛メールでお知らせください

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