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works_椅子

2008.12.16

製材_手前椅子から「 T chair 」 へ

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「タモの製材の思いで」2003年 南松本の製材所で

アルミの背の椅子_フューチャーの湾曲状に叩きだした背部と座板の結合部に支えをつけず、ステンレスの六角ボルトのみによるジョイントをスケッチしたのは極限余分を省いた構造の強度を試したかったのである。二次元同士が交わる三次元曲線上にボルトを配置すればまず抜けることはない予測だった。
実現に向けてテーパー製材を頼み製材士の手を煩わせたのは第一に樹が勿体ないからだが、台車は回転しないので一枚ごとに僕がつけるスミに正確に鋸を合わせる熟練製材士のめけん(目でみて見当をつける)にすべてがかかっている。
もっとも効率主義のアメリカではコンピューター制御全自動台車回転製材機があるのかも知れないが、日本人の木目に対する美意識は独特で、立っていた樹木の天地、元と末、筍状の中杢であればその片寄りや高さ、広がりや余白と分布を大切にする。
民族のもっている伝統には美の感性にも違いがあり挽くたびに基準面の再確認をしたい意識が働くので最新機械は意味が無いのだ。
この樹を世話して頂いた松本で歴史の長いT材木店は今秋廃業、共にこの製材所も廃業し、二本の巻き尺でミクロンを計ってしまう僕の大切な仕事仲間、三代目ガラス職人 A さんは跡継ぎが居ない

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「 ストーブの前で_4年目のフューチャー 」

ジョイントはデザインの生命線といえるが、ボルトだけで背を支えている
後部必要板厚と前部の極限の薄さが同居した独自のデザインとなった


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木には木ねじの原則を破り、M6長さ30ミリのステンレス金属用飾りボルトを木に埋め込むのはちょっとしたコツがいる。初めての仕事に自信を持つには数年の時間を必要とするのだが、独自のお気に入りの技法とデザインを生み出すのには、遊び心と冒険心と、熟練の仕事仲間が不可欠だった

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「オールドレッドオークの製材」2007年夏 林友穂高工場にて


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♬♬ 曲がりくねって癖のある樹の製材は楽しい ♬♬

勘で推理した通りの結果になる場合もあるが、むしろ思いもかけなかった木目が現れた瞬間のドキドキはらはらからのインスピレーションは以前の作品だったり、構想中のスケッチだったりで都市生活にはなかった僕の仕事の原点は大きな楽しみとなっている。



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「栓の製材方針」2004年・松本市内で

かって3Kなどど蔑まれ仕事仲間が居なくなってしまう原因は、採算の合わない職人技の非効率。しかし現代は樹を人の都合で切りそろえ、大量に同じようなものばかり作りだして数年で捨ててしまう。
このことは子供の教育と同じくで、僕には空恐ろく思える


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「オールドレッドオークの年輪」

一年に1mmを刻んで1cmが十年、
この木はおそらく2メートルの直径があっただろうか
軽く柔らかく木肌は小味が利いていて美しい

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東京の木場ではすでに大きな丸太は製材しなくなって久しく、馴染み仕事仲間がつぎつぎと閉業することになって淋しい気持ちの慌ただしい師走の製材となった。
一生ものは代々の主義だが、今年から認識を新たにしたおじいさんおばあさんになっても飽きない作品作り・・これは嫁さん用の椅子にするのだ、これは曲がった座板のベンチにするのだと、僕にとっては来年へ向けての愉しい一日となった。



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「地元山辺 A 製材所で」2004年夏

難しい注文をきいてくれ、御夫婦阿吽の呼吸で仕事をして頂いた





2008.11.11

小さな三本足の椅子

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水平上が、なにをするにも具合がいいことを、田舎に暮らして土をいじって痛感
平野や盆地に町や都市が発展するわけである。
しかし水平な海だって池だってさざ波がたっているではないか・・自然の造形には、直線、まんまる、直角、ピカピカな真っ平らというものがないことに気が付いたのもこのころで、都会で育った僕にはこんな当たり前のことが新鮮だった。

自然の奥深さは、手鉋や鑿や小刀の、さざ波のように美しい手仕事の痕跡を残した仕上げに置き換わり今に続いている。4本脚の椅子が、凸凹のない床、つまり人工の空間でしか役に立たないと、三本脚の椅子を作ろうとスケッチしたのは田舎に暮らした必然で都会では生まれない発想かもしれない。
以前京都で、日用品の美を提唱した河井寛次郎の仕事椅子が三本脚だった記憶と重なり、それまでの作品に野性味が加わって、ころあいの大きさの三本脚の仕事椅子を鉄仕事用に作った。陶芸や鉄の仕事場は土間が最適だが、椅子のがたつきはしまりのない仕事につながりがちである。きちんと腰が据わって気持ちの良い環境で仕事が出来るようになったのは三本脚のおかげだが、この椅子はおむすび形の座面にステッチの美しいヌメ革を張って、以来僕のお気に入りの仕事道具になっている。

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鉄の仕事椅子は、芝生のダイニング、飾り椅子、サイドテーブル、バースツール、半円の座面、轆轤の手跡の栗板、革巻きの背当て、アルミ鍛造の脚部、肘掛けのかたち、座面の高さなど、さまざまなパターンに発展し、2000年和光展へと続いて、スタッキングの副産物も生まれた。
待ちこがれていた春がはじまり、雪が姿を消し始めて大地が黒々と湿り気を帯びてくる。緑と土の匂いが、そよそよとした風にのり心をくすぐり、皆が長かった冬の終わりを歓迎する。庭に出て煙草をふかしていると、羊歯の芽がかすかに風に揺れて、美しく朝日に輝いていた。
 柔らかい芝生にもぐらない脚端のデザインは、鍛造の鉄に真鍮を溶かして装飾した「渦巻き」としてこのとき生まれ、日本の柔らかい畳や床を痛めない椅子やベッドへと発展している。広い面積で加重を支える必然は、堅い床に土足で暮らす西洋にはないデザイン要素で、僕のライフワーク~日本の椅子~の脚端部の特徴となった。小さい体に大きな存在、狭い空間を広く使うことが得意な日本では、方々でお使い頂いていて、大きな体の犬塚弘さんのお気に入りのひとつともなっている。

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2008.10.23

作品回想_椅子 ベンチ

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「サークルチェア 1985年制作」


三城での生活が始まり

必要に迫られて作ったサークルチェアー

この椅子は思い出深く古美がついて僕の宝物となっている


鎌倉時代まで日本の伝統工芸品しか作ったことがなかったので、これは自ら課したハードルで何度もめげそうになった。

日本の高度成長下、職人技が生きられなくなり、機械生産、海外生産が主流になっていて、日本のかたちと、自分の手の痕跡を残そうと思ったのはそのころだった


この椅子は家族の絆を結ぶ食卓、日々の暮らしが作りだしていく素敵なドラマを、丸く囲むの意を込めて「サークルチェアー」と名付け、サークルテーブルとともにスタートした


試作は三台、それまで直角の胴づきしか知らなかったから、15°に設定した角断面の背柱と脚の胴づきを合わせるのが難しく、閉口して現在は丸断面の脚に変えている

しかしこの苦労はどんなものでも来い、これから僕にはつくれないものはないだろうといった自信(過剰・笑)となっている


西洋家具の模倣から始まった椅子の制作が我が国で始まったのは戦後でごく近代

日本の文化史上、外国模倣から和のものになるまでに100年かかるそうだが、現代音楽がクラシック音楽になる時間と同じわけだ

で、死ぬまでには定着はしないと知りつつもこの椅子の完成後、「美しい和の椅子」は僕の目標となった

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以後の作品『片アームの椅子(畳の上の日本の椅子)』『アルミの背の椅子』、『木の床暮らしのベンチ』『手前椅子』などこれまでの作品を整理して回想してみた


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