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切り抜きから

2016.02.21

私の半生⑩

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経済はどんどん発展していました。工場のオートメーションで僕のいた会社にもベルトコンベヤーやパレットなどが備わり、皆の給料もウナギのぼりでした。「ラジオ、テレビ、なんでも、、」といったコマーシャルソングが一段落する頃には電気製品もどんどん売れて、僕達が便利で豊かになるのには、森よりも原子力発電が必要なのだといった暗黙の了解のような空気が生まれていたような気がします
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2016.02.21

私の半生⑨

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日本は樹の種類が多く、性格、表情もそれぞれで指物は効率が悪い。儲かるわけがないと家業を見ながら育ちましたので、機械を使って鉄板で作るという仕事は大変魅力的だったのです。父母は嫁を気に入ってくれ、休みの日にはスカイラインGTを運転して、それほどは渋滞のなかった湘南海岸を四人で走るのがたのしみでした。LPレコード5枚分が初任給の時代です
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2016.02.21

私の半生⑧

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進学のために勉強するという意識が今ほどはない時代で、僕は剣道とギターに明け暮れていましたので、おめおめと国立大学に受かるわけなどありませんが(笑)、デザイン、という言葉が耳新しく、ファッションではアイビーが産声を上げ、しましまネクタイを締め、珍しかったハンバーガーを六本木でかじり、MGなどに乗って学校へ通う生徒が出てきたりしてオシャレな時代が始まったのでした。反戦歌を歌いましたが、ブラフォーやPPMなどのフォークソングのハーモニーが新鮮だっただけで、ベトナム反戦運動をしたわけでもなく、震災も戦争体験もなく、僕は何と無くふわーっとした時代を過ごさせていただいたのです08_160203.jpg


2016.02.21

私の半生⑦

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エレキギターから遠のくとクラシックギターが欲しくなりましたがアルバイトのお金では手に入らない。親に相談すると、音大にいけるよう頑張るつもりなら足りない分を出してあげる、と言います。勉強嫌いに音楽理論や歴史などなどの自信はなく、途端に黒澤楽器のショーウインドーの手工ギターは夢の彼方の泡となりました。
  暫くすると机の上にギターと書かれた封筒が置いてあった。今思うと、母は家業を継がせるのが嫁としての務めだと思っていた節があり、僕はまんまと作戦に引っかかかった感がありました
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2016.02.21

私の半生⑥

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母方の実家は、震災後の質屋業で成功を収め裕福だったので、母達の時代は夏になるとトラックで家財道具を運び、鎌倉や逗子の一軒家を借りて一家で海水浴をしたり花火をして過ごしていたそうです。母は三味線の名取でしたが、僕は長唄とモノ悲しいような三味線の音色が苦手で、その頃日本にお目見えしたエレキギターに夢中になり、チャビーチェッカーやリトルリチャードなど、黎明期のロックンロールが得意でした。夢に見るほどフェンダーのギターが欲しくなり、ある夏休み、親の目を盗んで泊まりがけで地方のダンス教室へアルバイトに行きました。少しのお金をポケットに、夜行電車でおずおずと東京駅へ戻ると、誰もいない薄暗い改札口にポツンと母親が待っていたのです。家までの道のり、エレキギターをかついだ僕と並んで涙ぐんで歩く母親は一言も口をききませんでした。エレキは不良という時代で、以来僕はエレキギターとお別れしたのです06_160126.jpg


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