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切り抜きから

2016.02.21

私の半生⑤

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エレキギターから遠のくとクラシックギターが欲しくなりましたがアルバイトのお金では手に入らない。親に相談すると、音大にいけるよう頑張るつもりなら足りない分を出してあげる、と言います。勉強嫌いに音楽理論や歴史などなどの自信はなく、途端に黒澤楽器のショーウインドーのギターは夢の彼方に遠のいてしまいました。

暫くすると机の上にギターと書かれた封筒が置いてあります。今思うと、母は家業を継がせるのが嫁としての務めだと思っていた節があり、僕はまんまと作戦に引っかかかった感がありました

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2016.02.21

私の半生④

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生まれた頃にはホンダが自転車用補助エンジンを発売、新し物好きの父は、早速自転車に取付けて仕事先を回ったり、時に僕や弟を荷台に乗せて10キロほどの母の実家まで走るのを楽しみにしていました。まだ洗濯機や冷蔵庫や石油ストーブはなく、父はその頃は安価な鯵の干物や松茸を、火鉢で炙りながら晩酌を楽しみにしていましたが、木っ端で風呂を焚くのは僕の仕事でした。父はバスの排気ガスに文明の香りがすると言い、皇太子ご成婚からほどなくして、炭屋を家業としていた友達の家がガソリンスタンドに転業したり、東京タワーと首都高速が出来て東京オリンピック開催、ホンダスーパーカブ、ダイハツミゼット、トヨタパブリカやニッサンサニーなどのクルマが発売されてモータリゼーションが幕を開けたのです。 大衆車というふれこみでしたが、まだまだ高級外車を見るような目で父が感心して眺めていたのを思い出します。頭が良くないと指物師になれない、と言いますが、僕は自転車で三浦半島を一周したり、犬と遊んでばかりいて勉強はからっきし、天才肌の父の成績はどうだったのだろうと、この頃になって興味があります

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2016.02.21

私の半生③

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この頃の銀座通りはすでにビルが並んで道路はアスファルト、唯一都電の線路が自然石で敷かれ、普通の庶民の住まいは仕事と暮らし一体の小さな木の家で大勢がワイワイと暮らしていました。電化製品はなかったので夏は汗まみれになって鉋を引く父の背中を見て僕は育ちました。

あるとき父に川崎へ連れて行ってもらうと、都会っ子には山山に囲まれた風景が広がっていて、そこで嗅いだ土の匂い、その中から聞こえる生命の鼓動の感動を今でもよく覚えています。、今のネジ好きは、自転車を組み立てる優しい職人の手さばきに憧れたせいかもしれません

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2016.02.21

私の半生②

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どのような経緯で宝町だったのか分からないのですが、姉が戦争の焼け跡で生まれ、僕が生を受けた頃には復興も進み、銀座と日本橋の中間で、僕は社会の急変に揉まれるように23歳まで過ごすことになりました
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2016.02.20

私の半生①

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樹を丸ごと彫る彫刻などの仕事に対して、板と棒に分解して組み上げる木工芸を指物と呼んでいます。半生記とはおこがましいですが、信濃毎日新聞 タウン情報に掲載していただいています。美ヶ原暮らし30年、新年よい人生の区切りをいただきました



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