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切り抜きから

2008.11.05

石川真帆さん_2006年6月22日 信濃毎日新聞掲載記事から

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弟子達_石川真帆さん卒業制作スツール - 002.jpg

 松本市街地から十五キロ。標高千四百メートルの三城地区は、夏もさわやかな風が吹く。美ケ原高原直下の山腹、L字形をしたヒノキ材の建物が「三城シューレ」だ。

 工房の作業台で、石川さんが板の表面にしゅっしゅっとかんなを滑らせていた。両手には、あかぎれや切り傷が幾つもある。シューレに来て真っ先にしたのが、かんな作りだった。作品に合わせて一つ一つ調整する自分専用のかんなは現在、大小十二個に増えた。

 石川さんは愛知県出身。東京の大学を二年で中退した。都会生活は息苦しく、「自分は何がしたいのか」分からなくなった。一年間アルバイトした後、岐阜の飛騨国際工芸学園で二年間木工を学ぶ。インターネットで前田さんの厨子(ずし)を見て「ここだ」と思った。

 弟子入りを志願して訪れた三城で、「ごみを出さない」「ものは極力買わない」シンプルな生活に出合った。食事作りは当番制。作業で出た端材を使い、炭で起こした火で飯を炊く。早朝の犬の散歩に、畑仕事。心身ともに、めきめきと元気になるのが分かった。

 「テレビもない。雑音がない中で感性がどんどん研ぎ澄まされ、したいことがはっきりと見えてきた」

 シューレは弟子入りの際、道具代などで三十万円ほど必要。授業料はない。主宰の前田さんは「採算は合わないが、職人を志す若い人の負担をできる限り減らしたい」と話す。

 前田さんは、東京の江戸指物師の三代目に生まれ、大勢の弟子が寝食をともにする大家族の中で育った。だが、大量生産、大量消費の時代が到来し、「手仕事でこつこついいものを作っても売れなくなった」。徒弟制度は廃れ、周囲から生粋の職人が姿を消した。一度は家具メーカーに就職したが、黙って働く父親の背を見て「自分が継がなければ、この仕事も途絶えてしまう」−。三年目に退社、父親に師事した。

一九八四年、信州出身の妻と三城へ。過疎化が進む同地区に来た当初は「なんで若い人がこんな所へ、という目で見られた」。元町会長を務め、花見など町内行事で奔走してきた。

 昨秋、後継育成の理念を広めたい−と工房をNPO法人化。賛同者には建築家や俳優、劇作家、医師ら約三十人が名を連ねる。弟子たちは、前田さんの作品づくりを、教わりながら手伝っている。

 石川さんは四月、友人の結婚式のため初めて、贈り物のコースターを最初からすべて自分で作った。「祝う気持ちを形にしてみたらどうだ、と先生が言ってくださって」。使う人の顔を思い浮かべながら、一つ一つを手で作る。「ものづくりの心を教わりました」

 師匠の机の引き出しには、百を超えるかんながある。自作のかんなは成長の証し。自分の棚もいつか、かんなでいっぱいにしたい−と石川さんは言う。


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弟子達_石川真帆さん送別会_しずかで11.jpg
石川真帆さん送別会_松本しずかで2008年3月

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石川さんは2008年3月までの3年間工房で修業した頑張りやさん
現在は静岡へ帰り、アルバイトをしながらM4で協力し合い制作を続けています


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2008.11.05

早川久美子さん 2008年10月10日 信濃毎日新聞 の掲載記事から

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早川久美子さん.jpg

美ヶ原高原直下の山腹にある「前田木芸工房」早川久美子さん(30)の一日は、午前七時半すぎの掃除から始まる。

作品作りの合間には犬の散歩に出掛けたり、端材で米を炊いたり。「生活と創作活動が一体化することでいい作品が生まれるんです」

今年四月、工房を主宰し家具などの調度品を手掛ける前田純一さん(60)に弟子入りしたばかりだ。いろりを据えたテーブルに、木と鉄を組み合わせたいす。

工房の至る所に前田さんや先輩作家の作品が並ぶ。「先生の作品と自然に囲まれた今の生活は、何よりもぜいたく」と満面の笑みを浮かべる。

下積み生活の今は、アルミ板をハンマーでたたいてランチョンマットにしたり、ヒノキのはしを研磨したりと地道な作業をこなす。職人の世界では「手番」という。

そんな生活の中で最近、自分で使う小型かんなの製作に取り掛かった。角張った部分を削る面取りや、細かい作業をするには欠かせない大事な道具だ。「かんなが完成したら次は自分用のいすですね。まずは自分を喜ばせるものを作らないと」と張り切る。

東京都小金井市出身。女子美大でインテリアデザインを学んだ後、二級建築士の資格を取得。都内の設計事務所に勤めた。しかし、パソコンに向かい設計図を作る日々の中で「もっと手を動かす仕事がしたい」と、母校の助手などを経て工芸家への転身を決意した。

「好きなだけ素材に触れることができる今の生活が楽しくてしょうがない。最近は特に栗材の木目や色にひかれます」と話す。重い木材を持ち運び、仕事が深夜にも及ぶ日々。女性には厳しい世界だが、「好きな仕事だから一生続けられる自信がある」。

将来は松本で工房を開くのが目標だ。「木の種は落ちる場所を選べない。それでも過酷な環境で生を全うしようとする木々から学ぶところも多い」。自分に与えられた環境で根を張るー。おっとりとした印象だが、目の前の道を焦らず一歩ずつ踏みしめている。


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鉋_仕立てから名入れ -.jpg

「摺漆と刻印が済んで、出番を待つ寸四、寸六と長台」


2008.10.24

長野県の手仕事「作り手を訪ねて」から

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カントリープレス社、 信州を愛する大人の情報誌「KURA」の池田さん、平松さんが三城来訪、2008年 No.83 11月号の記事にして下さった。
池田さんのフラッシュさばきと、ご主人とお子様連れでみえた平松さんとの囲炉裏端取材が楽しく、お二人の細やかな観察眼が素敵で女性ならではと頷く。

僕は、伝統とは汚染されていない水のように尊く、姿形を変えて流れていく未来への資産、と定義したりしているが、平松さんは「精魂のつながり」と表し聡明。

「KURA」は信州の風景、温泉、人などなど「るるぶ」といった構成の月刊誌で、今月号の企画のひとつに「探求する信州そば」がある。
信州の広い範囲の思いの深い蕎麦店主が紹介されていて、ぜひ小生もじっくりと訪ねてみたい。

工房記事は見開き4ページに編集されて、いくつものスナップが紹介され、昼食時の弟子達も登場させていただいた。
伝統の継承はむづかしいが、このように紹介していただき光栄、謝謝。


火皿_囲炉裏ばた_KURA.jpg
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長野県の手仕事
「作り手を訪ねて」
文・平松優子 写真・池田奈巳子

 幼少時代を東京都中央区で過ごし、鎌倉市で工房を営んでいた前田純一さんが松本への移住を決めたのは、純一さんが36歳、大作さんが9歳の時のこと。木工家として、木を相手にするならば、自然の多い土地に暮らしたいと考えていた折に、この場所に巡り会った。

「訪れたのが紅葉の時季でね、森の木々の色が素晴らしかった。この景色を見て暮らせるなら、どんなに不便でも、それだけでいいと直感で思ったんです」と、純一さんは微笑む。こうして前田木芸工房は、自然と寄り添う形で新たな一歩を踏み出した。

 100年続く江戸指物の家系、前田木芸工房。3代目である純一さんが抱いてきたのは「ものは人を教育する」という想い。そのため、自身の周りからも不必要なものは徹底的に排除し、子どもたちには、常にその世界で"良いもの"とされるものを与えてきた。

「世界中にある一流品と呼ばれるもの、その背後にはつくり手がいて、命懸けでそれを送り出している。その力を感じてほしかった。それに、理に適って優れたもの、強いものは、理屈抜きに美しいんです」

ものが子どもたちに教えてくれるすべてが、純一さんにとっての子育てであり、教育だった。優れたもの、良いものを知らなければ、それ以上の作品を世に送り出すことはできない。こうした

"良いもの"を生み出そうとする感性のなかで、大作さんは幼い頃から育ったという。

 日々を過ごす住居スペースには、そこかしこに純一さんと大作さんが作った家具や道具が置かれている。高さ、大きさ、重さ、手触り。すべてが調和した「そこにあるべきもの」が当然のごとく配され、空間を形成している。それらの構造的な必要用件を追求するうえで自然に用いられるようになったのが、鉄、真鎗、銅、アルミニウムなどの金属類、さらには革などの異素材だ。

 「長年、木に携わり、知り尽くしているからこそ、木の不得意なところも見えてきます。そこにどのような素材が最適なのかを考え、"必要"から始まったのが異素材を使った作品なんです」と純一さん。適所に適材を用いて組み合わせる発想から、独自の作風が生まれ、前田木芸工房の顔となった。

 さらに、新たな取り組みのひとつに信州カラマツの利用がある。戦後、信州に多く植林されたカラマツは、その扱いづらさから、現在ではあまり家具に用いられることがない。しかし「木を扱うものとして、そこにある材を使わなくていいのだろうか」そんな大作さんの発想からカラマツに向き合うようになった。確かに苦労の連続ではあったものの、ようやく、カラマツにしか成し得ない魅力や個性を生かした「Caramatsuシリーズ」が誕生。そのひとつが「1年箸」だ。

 「このお箸は、1年を目安に使って、その後はできれば自然に還して欲しい。そうすることで森と人間の関係が保たれ、良い木が育ち、良い作品が使い手の暮らしを美しくするのです」

 目の前にある素材で、ものを作る。言葉にしてしまえばたったそれだけのシンプルなこと。ただ、絶対条件としてそれは、不可欠な仕上げで要を満たし、最良の細工が施された世界一美しいものでなければならない。それが、つくり手の誇りであり、役割なのだ。

 「時代に合わせて環境は変化し、求められるものも当然変わります。だから、工芸において100年間つくるものが同じということは考えにくい。ただ、父や僕の根底に流れている感性は祖父のものであり、曾祖父のものでもある。その時代、時代で、手を動かしているのが父や僕であるというだけのことで、その価値観みたいなものは心のなかに息づいているんでしょうね」

 伝統は形ではなく、精魂のつながりであり、そこには絶対的な″美″が宿る。現代へ伝統工芸を受け継ぐつくり手の、真の姿を見た気がした。


こには最高の自然がある
情熱を注げる仕事がある
至高の味わいがある
最愛の人がいる

株式会社まちなみカントリープレス・KURA

 http://www.country-press.co.jp/kura/index.html



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