home > blog > 前田純一 blog > 庭で

庭で

2010.08.14

庭の愉しみ_ちこのカート

(0)  (0)

カート2.jpg
孫が一歳を過ぎたら庭で遊ぼうと木のカートを作った。繊細なのだが踏んづけても錆びついても壊れない鉄の車輪がついている。
天然素材、構造を学べるシンプルなデザイン、鉄の引き手にすべりどめの凧糸を巻いて女の子らしく赤い漆で固めこれも強靱だ。
無一物無尽蔵・・・・タンポポとかクローバーといったものを雑草だとか、かわいい子鹿を有害獣だといった誤った常識を、僕達のように持ち合わせていないから子供は神様なのである

カート1.jpg
カート5.jpg
カート4.jpg
カート3.jpg
池の白樺.jpg









・・・・・・・・・・・・・・・・・・


やまゆり.jpg
「やまゆり・2010年8月庭で」

2009.10.21

写真の愉しみ_秋のはじまり_庭で

(0)  (0)

夏の終わりの庭で04.jpg
「にいちゃん、うしろにいるのに・・」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

夏の終わりの庭で02.jpg
「からまつの夢」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・



夏の終わりの庭で03.jpg
「春への期待」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・


夏の終わりの庭で05.jpg
「一年ぶりのマロングラッセ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

夏の終わりの庭で01.jpg
「とらのおのみのり」



2009.09.10

写真の愉しみ_庭で_みずひき

(0)  (0)


090909みずひき.jpg
むずかしいみずひき 20071021

オリンパスE300
s_1/6 f_13-1.00・ISO100

09091100.jpg


2009.09.10

写真の愉しみ_庭で_「日本海」

(0)  (0)

090909庭.jpg
海水浴のおもいで・なつえびね・小さな滝で

オリンパスE3
s_1/80 f_5.6 -1.0・ISO125

2008.11.27

装い_いのり_秋の庭で_dogs

(0)  (0)

庭_秋_web09.jpg
「娘の秋」dogs_uniko_2006年秋



庭_秋_web15.jpg
「黄色い材料小屋の思いで」2000年秋

今年は玄関を出た右手に好きな山草を増やした。鎌倉から引っ越したみやこわすれは、ようやくこの土地に馴染んでくれて、僕は生き残ったわずかを株分けし、厳しい冬に備えてふかふかと発酵した暖かな腐葉土を掛け布団のようにそっとかけてやった。
草花たちはもうすぐたっぷりときれいな空気を含んだ雪に覆われて閑かに春を待つが、来春は品のよい山の花をさりげなく頂上に装う。それから美しく年老くころになると生きる喜びに満ちた新しい株がすでに隣に産声を上げている。この材料小屋のように、秋には彼女たちはなにほどの迷惑もかけずにさまざまの葉とともに土へと還っていくのだ。


庭_秋_web03.jpg
「みずひき赤」2008年秋


庭_秋_web07.jpg
「やまあじさい」2007年秋


庭_秋_web13.jpg
「三本脚のスツールと焼杉のテーブル」2007年秋



庭_秋_web08.jpg
「団栗地球を救うか」楢の葉2008年秋

今年も庭から見る山々は秋色に装い、僕達の目を楽しませてくれている
季節の一大ドラマは一体誰のプロデュースによるものなのだろうか・・

(大きな声で言えない・・)

観る人の心にぞありき・・いずれにしても人の仕事ではなくて自然ドラマの観覧は無料。人は幻想の価格の創造(最近は捏造ともいうらしい)大好き、美というものを認識できないから価格設定も、手に入れることも出来ずにゴミと墓の狭間で生きて嘆いてみたり、差別と区別の区別がわからず毛皮を着て動物愛護を唱えたり、 文明の進歩を人間の進歩だと錯覚してロケットのように水と空気を汚染していく・爆

 こうなったら10円づつ山の神に集めて自然にお返しをすると少々は環境にいいかもしれないが、ボランティアは幻想だから感動税を新設して国民すべてが山の神に奉納するというのはどう? 実現したら僕は感動指数審査委員を買って出て、神のくれるお返しを夢見てボランティアする・汗



庭_秋_web01.jpg
「さわふたぎ」2008年秋



庭_秋_web02.jpg
「錦木・にしきぎ」2006年秋



庭_秋_web04.jpg
「夏の名残り」われもこうとパラソル・2008年晩夏



 

庭_秋_web11.jpg
「dods・2006」


庭_秋_web12.jpg
「ツリーハウスの思いで・幻想の冬眠鼠」
フューチャー2008年秋


庭_秋_web10.jpg
「秋・水清し」つめたい池で・ステラ2007年秋

カメラをぶら下げて秋の庭で犬を遊ばせながら、感動というものがおまえ達にはないのか??と蔑んで笑ったりする。しかし彼らは作ることも捨てることも蓄えもせず、したとしても比べることを知らず、したがって迷うこともなければ無意味な競争をせずに無邪気に遊んでいるだけ、僕達のように地球を汚染したりしないから尊敬に値する。そうこうしながら露出とシャッタースピードとフォーカスを調節したり、美を知る能力とか、自然は何のために装うのかなどといったことがふと頭をよぎるのだが、美しい生き物にすっかり僕の心は満たされていてすぐにそんなことはどうでもよくなる。そういった心の働きを美しいとしかいいようがないのだとなんとなく安堵し、人間のする創造、感謝とともに感動を子供達がさまざまなかたちに置き換えてくれることを祈るのだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「花の色は 移りにけりな いたずらに 我が身世にふる ながめせしまに」


百人一首

1  |  2   


PAGE TOP