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庭で

2009.09.10

写真の愉しみ_庭で_「日本海」

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海水浴のおもいで・なつえびね・小さな滝で

オリンパスE3
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2008.11.27

装い_いのり_秋の庭で_dogs

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「娘の秋」dogs_uniko_2006年秋



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「黄色い材料小屋の思いで」2000年秋

今年は玄関を出た右手に好きな山草を増やした。鎌倉から引っ越したみやこわすれは、ようやくこの土地に馴染んでくれて、僕は生き残ったわずかを株分けし、厳しい冬に備えてふかふかと発酵した暖かな腐葉土を掛け布団のようにそっとかけてやった。
草花たちはもうすぐたっぷりときれいな空気を含んだ雪に覆われて閑かに春を待つが、来春は品のよい山の花をさりげなく頂上に装う。それから美しく年老くころになると生きる喜びに満ちた新しい株がすでに隣に産声を上げている。この材料小屋のように、秋には彼女たちはなにほどの迷惑もかけずにさまざまの葉とともに土へと還っていくのだ。


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「みずひき赤」2008年秋


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「やまあじさい」2007年秋


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「三本脚のスツールと焼杉のテーブル」2007年秋



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「団栗地球を救うか」楢の葉2008年秋

今年も庭から見る山々は秋色に装い、僕達の目を楽しませてくれている
季節の一大ドラマは一体誰のプロデュースによるものなのだろうか・・

(大きな声で言えない・・)

観る人の心にぞありき・・いずれにしても人の仕事ではなくて自然ドラマの観覧は無料。人は幻想の価格の創造(最近は捏造ともいうらしい)大好き、美というものを認識できないから価格設定も、手に入れることも出来ずにゴミと墓の狭間で生きて嘆いてみたり、差別と区別の区別がわからず毛皮を着て動物愛護を唱えたり、 文明の進歩を人間の進歩だと錯覚してロケットのように水と空気を汚染していく・爆

 こうなったら10円づつ山の神に集めて自然にお返しをすると少々は環境にいいかもしれないが、ボランティアは幻想だから感動税を新設して国民すべてが山の神に奉納するというのはどう? 実現したら僕は感動指数審査委員を買って出て、神のくれるお返しを夢見てボランティアする・汗



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「さわふたぎ」2008年秋



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「錦木・にしきぎ」2006年秋



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「夏の名残り」われもこうとパラソル・2008年晩夏



 

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「dods・2006」


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「ツリーハウスの思いで・幻想の冬眠鼠」
フューチャー2008年秋


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「秋・水清し」つめたい池で・ステラ2007年秋

カメラをぶら下げて秋の庭で犬を遊ばせながら、感動というものがおまえ達にはないのか??と蔑んで笑ったりする。しかし彼らは作ることも捨てることも蓄えもせず、したとしても比べることを知らず、したがって迷うこともなければ無意味な競争をせずに無邪気に遊んでいるだけ、僕達のように地球を汚染したりしないから尊敬に値する。そうこうしながら露出とシャッタースピードとフォーカスを調節したり、美を知る能力とか、自然は何のために装うのかなどといったことがふと頭をよぎるのだが、美しい生き物にすっかり僕の心は満たされていてすぐにそんなことはどうでもよくなる。そういった心の働きを美しいとしかいいようがないのだとなんとなく安堵し、人間のする創造、感謝とともに感動を子供達がさまざまなかたちに置き換えてくれることを祈るのだ。


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「花の色は 移りにけりな いたずらに 我が身世にふる ながめせしまに」


百人一首

2008.11.06

dogs_フューチャー_ツリーハウスで・友人_地域 町会_入山辺公民館活動

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冬眠鼠が必ず床下にいると、彼は信じていた


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2007年8月

初めて梯子を登る決心をした

以後簡単に登るが降りられない。僕は迎えに行き、肩にかついで下ろすことが日課となった


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2008年9月

床板の穴が徐々に大きくなっていた。しかし冬眠鼠は彼の幻想である


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2008年10月中旬

おそらく歯が抜けかかっている


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2008年10月下旬

それでも数時間は飽きない


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2008年11月4日

僕の大事な冬眠鼠がいない



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妙子へ

今日は暖かくて薪割りが気持ちよかったね。素敵な写真をうれしく受け取りました。おみやげも喜んでもらえてよかった。

こちらからも写真を送りますが、フューチャーは歯が抜けたんだって??

お馬鹿だねえ・・きっとツリーハウスの床を噛みすぎたんだよ

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地域のコミュニティーによって、四本立白樺に、地上2.6メートル、2メートル四方の小さなハウスが完成したのは2002年秋。

入山辺フォレストクラブと、ご父兄を交えて地元中学生と建設した時の昼食、煙とカレーの匂いがいまだに漂っている。


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ツリーハウス子供達と01.jpgツリーハウス子供達と02.jpgツリーハウス子供達と04.jpgツリーハウス子供達と03.jpg

当時からのコンセプトは「地球に迷惑をかけない」

カラ松の間伐材と、友人寄付の自然木材を使い、大人が子供に手をかして作り、壊したら土に還る願いがある

200811月、思い出を残して地元建設業の方々のボランティアにより、ツリーハウスは地上に降りて壊された

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四本立白樺は、自由を取り戻し美しく輝きはじめた


残材は薪となって僕達に暖を与えてくれている


今年の新米を炊いた灰は、地球にリサイクルして美しい森となる


気持ちのよいことだ



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「ちびっこコンサートの休み時間に・ 2008年夏」

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「梯子とフューチャー・ 2008年秋」

THANX!!!




2008.10.28

蘇る桑の樹_オリンパス ZUIKO DEGITAL 8mm

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「スケッチ_厨子 仏壇 像」2008夏

雑草退治や、雨で荒れてしまう道の側溝工事、邪魔になっている大きな石を埋めるなどなど、腰を痛めたこともあって、今年の夏はバックホーで庭仕事をしていた。(機械仕事は体を使わない)

日陰になって育ちの悪くなったツツジを移したり、大きくなったあやめの株分けをしたり、混み合いすぎた藪を退治して悦に入り、今年の庭はよくなった、、と話すと、毎年言っているわねェと、毎年カミさんがあきれて笑っている。

さまざまの夏を楽しんだ芝生を通って坂を降りていくと目通り50cmほどの桑の樹があって、房になった小さな黒い実をつける季節には、周辺は甘い香りに包まれて犬達が地面に落ちた実を夢中で食べていて、いつだったかはっと閃いてスケッチをする。

樹を倒すのは満月がいいと言われている。今年の冬の始まり、この樹が葉を落としたら根本に酒をまいて祈り、研ぎ澄ましたチェーンソーで倒そう。
今夏はようやく決心し、深夜桑の樹をいのりのかたちに蘇らせている。

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歪ませるなんてとんでもない、、と思っていましたが魚眼は面白いです・・
もうすぐ消えてしまう・・とこうして生きていくのも結構哀しいもんですが、思わず笑えて勇気が出てくるのも写真の効用のひとつといえましょうか
目の真実を写すのが等倍レンズならば、Fish Eyeは こころの閃きと夢を撮るレンズなのかもしれません


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「蘇る桑の樹」
ISO100  1/400 F5  露出補正_マイナス1
E3を地面に置き、ライブビュー回転液晶を使って空を見上げて収めた桑の樹




 
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「空のキャンバス・1021の雲とフューチャー」

露出補正マイナス0.7、シャドウ ハイライトで暗部補正後、フィルター照明効果でフューチャーを明るくした


2008.10.26

庭_秋_小さな滝で・・栗の樹の根本から・・

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工房から南西、鉢伏山方向150メートルは、落差40メートルほどの斜面になっていて、いつ頃芽生えたものか、中ほどに大きな栗の木が二本僕達の過ごす時を見守り、その幹の根元にたえまなく水が湧き出ている。

細い流れはすぐに土に吸い込まれて、大きな山辺石の隙間から再び流れ出したあたりに、昔、秀男と池を作った。
そこには小さかった子供達が大門沢で掴まえた岩魚が長く住み着いていて、このごろでは夏に遊びに訪れる子供達が素手で掴まえたり、犬達が水浴びをしたり、スイカやビールが冷やされたりしている。
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「太ってしまった池の岩魚たち」

やはり清流にいるべきだ・泣


水が土に浄化されて再び湧き出るあたりに、五、六年前小さな滝を作った。
組んだ石段にほんのりと苔がつくころになると、移植した山モミジの枝が葉を繁らせるようになり日陰を作ってくれたので、昨年から好きな山草を育てている。

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何度か失敗したキイジョウロホトトギスという植物は、朝日があたり、日中の日差しが葉陰にゆるく、西日が陰り、空中湿度が高い場所に自生している気むずかしい植物なのだが、今夏は見事な花を見せてくれていた。
左側の石組みのやや上のあたりに植え込んだ白山石楠花は、鎌倉で父が育てていたもので、平均気温が上がってこの土地に慣れたのだろう、20年を経て、そよとした品のいい花を毎年つけるようになって馴染んでいる。

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くじゃくシダも環境を選び、自然に育てようとすると思いのほか苦労するが、いまでは滝の廻りにすっかり根をおろし、ほかの妙に勢いの強いさまざまな美しい植物も、敏感なものたちとみごとなバランスを保ちながら有終の美を奏でて、美しい秋を楽しませてくれている。
庭はもうすぐ雪に覆われるのだが、わずか数ヶ月後に彼らは、目を見張るような春の陽光に葉を輝かせて復活することが確実なのだ。

庭仕事に疲れ、手製のベンチに腰を掛けビールの香りに目をつむると、そういった水や空気や、限りない生き物たちのいのちの気配が僕を幸せにする。
 目に見えるまわりは、昔からの決められたサイクルを疑うことなく、課せられた時をただ歩み、死を恐れて慌てることもなく自然に忠実に、たしかに四季を営んでいるのだが、なぜか人間だけは仮想空間に遊んでいて急ぎ、不安におののいたりしている。
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