2011.01.07
松本市都市景観賞_路地にある家_宮坂直志君、松並木 三城から御射山へ
(0) (0)

僕が末席を汚している松本市の都市景観審査会は一般の建築賞とは審査基準が異なり建築物個体を審査するのではなく、作られたかたちから建築家や住まい手のこころを周辺のたたずまいを含めて云々する審査会なので受賞したからといってすぐに宣伝や経済に結びつくわけではない。根回しや心付けなどとは無縁なので、なおさら直志君の正しい美意識に裏付けられたデビュー作が光っているのである。

彼の作品とフィアンセのご実家の建築が応募していることを知って審査の三週間ハラハラドキドキ。最終審査で両方が残り、地域に今後の方向を示す創造性がすぐれていることから路地にある家が最優秀賞、新しい機能を加えながら松本伝統の蔵を見事に復活させたことで上島歯科医院の蔵が、建築物・工作物部門賞になりました。審査後の交流会で僕との関係を明かしたときにはよく黙っていたと一同爆笑だったのです。
「公共施設部門賞」
市道3504号線改良工事(薄川左岸金華橋下流)

僕にとってうれしい三つめの偶然といえましょうか? 貴重な遺産を保全した道路改良工事が評価され、三城への登り口にあたる薄川(すすきがわ・美ヶ原に源を発し、松本市を潤しながら、千曲川、信濃川へと続いています)河畔、金華橋の松並木周辺が公共施設部門賞に選ばれました。(道路標識のセンスや無神経さが悪評でしたが、歴史的に意義深い仕事と評価されました・公共工事に最高賞は与えられない決まりになっています)
さて、僕達の住まう三城は歴史の浅い戦後の開拓地と思われているのですが、実は平安時代からこの松並木の下を貴重な労働力だった牛馬を曳いて三城牧場へ登り、それらに休養を与える放牧が盛んに行われていて、三城の地名は後世松本城に敵の来襲を知らせるための、のろし台(城)が三つ作られたことが由来となっています。
この松並木から三城と天の岩戸伝説の扉峠を経由し、ヴィーナスラインをMINIで走って一時間(本当は死んでしまったサラブレッドの愛馬、排気ガスなどださないルークに乗ってギャロップしたかったのですが)、太陽、月、星を祀ったといわれる御射山神社(みさやまじんじゃ・諏訪の御柱祭で有名な諏訪大社の上社にあたります)の湿原では、鎌倉時代から流鏑馬競技が盛んに開催されるようになり、各地から三万人が集まる大祭となって明治維新前まで続いていたのです。
それにしても、なぜ冬の間行き来の出来なくなる1500メートルの高原へわざわざ登ってまでこのような祭りが盛んになったのでしょうか? 伊勢神宮のある紀伊半島のように、かしこい昔の人は時代が変わっても開発されることのない不便な処を環境が破壊されない神の住む神聖な場所として選んだのではないか、そして御柱の樹はこの上社周辺で倒されておろされたのがルーツではなかったのかとひそかに僕は想像しているのですが、20年過ごしてきた鎌倉を出て、キラキラと首に汗が光る駿馬の背中にまたがり、中山道の山道を御射山へ向かう鶴ヶ丘八幡宮で流鏑馬を修めた若武者や、篤姫のようなお姫様のおかご行列に思いを馳せて楽しく、伐採する考えをしりぞけ見事に保全された松の木のそばでほっとしているのです
「薄川・ヴィーナスライン印象」

「雪桜」薄川河畔にて
2010年春・松並木に続く桜並木から塩尻方面を望む
「万葉歌碑」
「正月行事・三九郎」薄川では各町会がしめ縄やだるまを炊きあげて無病息災を祈ります
「フューチャーとステラ・御射山にて」美ヶ原高原には温泉がなく冬の始まりからから早春まで人がふみこむことがありません。立ち入り禁止になっている1万2千年かけて出来上がった天然記念物の湿原に絶滅危惧種となった高山植物がいのちをつないでいて短い夏を惜しむように咲き乱れます
「鷲が峰頂上から」周囲には見物席の桟敷がいまも残っています
「MINIとバンビ」運がいいと美しい子鹿やりすに出会うことができます
ヴィーナスライン・御射山への道・三峯付近
「ルークとジェミニ」三城へ移住した頃


日本の伝統を引き継ぎながら未来に繋がる若々しい感性を生かして活動している卯(うさぎ)の会は 宮坂直志君をはじめ、庭師の花岡博文君、宮下剛一君、左官の白澤雄介君、息子大作たちなどなど、松本の若手職人で構成しています































