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若者たち

2011.01.07

松本市都市景観賞_路地にある家_宮坂直志君、松並木 三城から御射山へ

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直井邸
 
建築家宮坂直志君の初作品、卯の会メンバーと協力してつくった「路地にある家」が松本市の平成22年度最優秀景観賞を受賞した。
市の中心部、込み入った暗い路地の一画に空が大きく開けた空間をつくり、変形敷地に合わせて設計した平屋の簡素でピュアな現代建築と、当たり前すぎて忘れかかっていた湧水を利用して信州の雑木や山野草を植え込んだ前庭、それらが塀で囲い閉鎖的になりがちだった古い路地裏の今後の方向性を示唆したことが審査会全員の支持をうけたのである。
クルマがはいれない不便や当初頭をかかえていた排水の難問が、かれらの創造力によって現代に得がたい静寂と町内の安全や、よごしてはならない貴重な湧水の存在を気づかせてくれていて共感する

僕が末席を汚している松本市の都市景観審査会は一般の建築賞とは審査基準が異なり建築物個体を審査するのではなく、作られたかたちから建築家や住まい手のこころを周辺のたたずまいを含めて云々する審査会なので受賞したからといってすぐに宣伝や経済に結びつくわけではない。根回しや心付けなどとは無縁なので、なおさら直志君の正しい美意識に裏付けられたデビュー作が光っているのである。
松本という街が引き継いできた伝統、それらと遊離することのない未来の建物、道路、公園、植栽、看板、広告、そしてこれらに留まることなく地域活動をも含めてこれからの街作りを考えることは、とりもなおさずそのベースとなる住民の、ひいては我々自身のこころの美を問うことになり、このことは街並みを形成する専門家だけにとどまらず個人の人間性を大いに高めてくれることになるだろう

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おめでとう!!!

設計にあたり水を念頭に置いたのは自然と戯れているからでしょうか? 今年結婚の報告をいただいた直志君は、画家だった父君を亡くされた中学生のころから三城の自然のなかで薪作りをしたり、路地にある家周辺の湧水の源流となる大門沢でいわなの稚魚をすくって工房の庭の泉に放したり、焚き火の匂いを嗅ぎながら遊んでいました。
彼の作品とフィアンセのご実家の建築が応募していることを知って審査の三週間ハラハラドキドキ。最終審査で両方が残り、地域に今後の方向を示す創造性がすぐれていることから路地にある家が最優秀賞、新しい機能を加えながら松本伝統の蔵を見事に復活させたことで上島歯科医院の蔵が、建築物・工作物部門賞になりました。審査後の交流会で僕との関係を明かしたときにはよく黙っていたと一同爆笑だったのです。

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「公共施設部門賞」

市道3504号線改良工事(薄川左岸金華橋下流)



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僕にとってうれしい三つめの偶然といえましょうか? 貴重な遺産を保全した道路改良工事が評価され、三城への登り口にあたる薄川(すすきがわ・美ヶ原に源を発し、松本市を潤しながら、千曲川、信濃川へと続いています)河畔、金華橋の松並木周辺が公共施設部門賞に選ばれました。(道路標識のセンスや無神経さが悪評でしたが、歴史的に意義深い仕事と評価されました・公共工事に最高賞は与えられない決まりになっています)

さて、僕達の住まう三城は歴史の浅い戦後の開拓地と思われているのですが、実は平安時代からこの松並木の下を貴重な労働力だった牛馬を曳いて三城牧場へ登り、それらに休養を与える放牧が盛んに行われていて、三城の地名は後世松本城に敵の来襲を知らせるための、のろし台(城)が三つ作られたことが由来となっています。

この松並木から三城と天の岩戸伝説の扉峠を経由し、ヴィーナスラインをMINIで走って一時間(本当は死んでしまったサラブレッドの愛馬、排気ガスなどださないルークに乗ってギャロップしたかったのですが)、太陽、月、星を祀ったといわれる御射山神社(みさやまじんじゃ・諏訪の御柱祭で有名な諏訪大社の上社にあたります)の湿原では、鎌倉時代から流鏑馬競技が盛んに開催されるようになり、各地から三万人が集まる大祭となって明治維新前まで続いていたのです。

それにしても、なぜ冬の間行き来の出来なくなる1500メートルの高原へわざわざ登ってまでこのような祭りが盛んになったのでしょうか? 伊勢神宮のある紀伊半島のように、かしこい昔の人は時代が変わっても開発されることのない不便な処を環境が破壊されない神の住む神聖な場所として選んだのではないか、そして御柱の樹はこの上社周辺で倒されておろされたのがルーツではなかったのかとひそかに僕は想像しているのですが、20年過ごしてきた鎌倉を出て、キラキラと首に汗が光る駿馬の背中にまたがり、中山道の山道を御射山へ向かう鶴ヶ丘八幡宮で流鏑馬を修めた若武者や、篤姫のようなお姫様のおかご行列に思いを馳せて楽しく、伐採する考えをしりぞけ見事に保全された松の木のそばでほっとしているのです




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薄川・ヴィーナスライン印象

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「雪桜」薄川河畔にて
2010年春・松並木に続く桜並木から塩尻方面を望む


susuki.jpg「万葉歌碑」
歴史を語る石碑が松の木の根本に建てられました



susuki00.jpg「正月行事・三九郎」
薄川では各町会がしめ縄やだるまを炊きあげて無病息災を祈ります

misayama.jpg「フューチャーとステラ・御射山にて」

つわものどもが夢の跡・・

美ヶ原高原には温泉がなく冬の始まりからから早春まで人がふみこむことがありません。立ち入り禁止になっている1万2千年かけて出来上がった天然記念物の湿原に絶滅危惧種となった高山植物がいのちをつないでいて短い夏を惜しむように咲き乱れます

wasigamine.jpg「鷲が峰頂上から」
流鏑馬競技場になっていた八島が原湿原を望む
周囲には見物席の桟敷がいまも残っています


ヴィーナス.jpg「MINIとバンビ」

運がいいと美しい子鹿やりすに出会うことができます
ヴィーナスライン・御射山への道・三峯付近



rook.jpg「ルークとジェミニ」
三城へ移住した頃

地球の循環の一員となって一生をすごすことなど、大動物からはさまざまな大切なことを学びました


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>>松本市公式HP_審査講評



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>>路地にある家竣工時 (2010年6月

明るい新年のよい結婚祝いとなりました。若い二人から素敵な家庭がうまれることを祈っています。路地に戻ったトンボや蛍と子供たちが戯れてくれたら夢のような町になりますね


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日本の伝統を引き継ぎながら未来に繋がる若々しい感性を生かして活動している卯(うさぎ)の会は 宮坂直志君をはじめ、庭師の花岡博文君、宮下剛一君、左官の白澤雄介君、息子大作たちなどなど、松本の若手職人で構成しています



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うさぎのようにとくに今年は大いに跳ねよう・・ゆかいゆかい・・>>卯の会ブログ


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「新春の泉で」


2010.08.24

栗・弟子達_2010年夏

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OL168862.jpg弟子達100802.jpg弟子達100809.jpg
アームの彫り込み_藤原 茜さん

前の月制作した栗と鍛鉄のアームチェアー二脚と新しいスケッチ・楢の低いテーブルをもう一度セットで模作の課題はまだ早いかとも思った。銘木は美しいが初心者に高価な木はこなせない。材料は庭にあった栗の樹で思いで深く都会育ちの僕にとっては初めての経験になるのだが、木取っていると倒したときその樹が発した恐ろしい悲鳴が記憶に蘇える。

もちろん失敗を重ねて最終仕上げには手を貸さなければならない。それでも全く素人だった彼等はほんの短い間に立派に作りあげ。今の教育システムからは生まれ出ない熱意ある徒弟の奇蹟といってよい。弟子になって一年の浜君、川上君、東京の企業を退職して2月から始めたばかりの河野君、四月から来た最年少茜さん、三年目早川久美子さん。高原でも異常に暑い夏若者はやりとげ、その栗をいいものにしてあげられたと僕は報われる。
三城に来なければ解らなかった自然との関わり。美しい椅子に姿を変えて喜んでいる栗の写真を撮りながら、木工とはこういう仕事だったかと
実感している


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鍛造・溶接_浜 克也君
手の美しい痕跡が自分を表します

弟子達100806.jpg寸法のチェック・川上三恵子 河野竜次君
数値や理論ではなく自分の目と感じ方を信じること
心でみること

弟子達100803.jpg弟子達100801.jpg弟子達100812.jpg「脚端革貼り」

三年目早川久美子さんが新入りに極意を伝えています
溢れる情報のようにたくさんあるように思えますが真理の数は僅かです

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差尺・椅子とテーブルの高さの関考えます

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僕達やお客様のよろこびの前に、自然や樹が喜ぶことを三方佳しといいます
各自が作った四方内反鉋が生み出す美しい形を真剣に学んでいます


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河野君はそれまで超優良企業に勤めていてこの仕事に人生をかけています
きらいなこと、できないことは背伸びしてやらなくてよろしい。出来ることを怠けてはいけない


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アームの彫り込み。外内二種がある丸鑿を使い分けます



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2010.06.02

建築家_宮坂直志のデビュー作「松本源池・路地にある家」

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「宮坂直志君・5月30日のN邸オープンハウスで」

直志オープンハウス02.jpg「玄関ホール」
山の辺建築設計事務所を主宰する直志君のデビュー作品は28坪のコンパクトな二世代住宅。大胆な朱色に彩った玄関ドアを開けてホールに入ると、正面の大きな窓からそそぐ自然光が、建具仕舞いを生かして生まれた小さな壁の凹凸や、微妙に変化させた天井に陰影を生んでやわらかく室内を浮かび上がらせていました

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松本中町・トキシラズ、明治時代につくられた蔵の改修内装工事、コモ庄内・伊勢の園の焙じ茶製造室、とユニークな仕事をこなしてきた直志君のデビュー作品「路地にある家」を見たとき、音楽に例えれば辻井伸行さんのラヴェルかもしれないと思いました
そぎ落とされた本物素材、自然への敬意、光と陰影によるやわらかな室内、華やかと初々しさ、日本人の培ってきた間合い、新鮮で技巧に走らない高貴で若者らしいひたむきな心に溢れていたのです

ドア金物、トイレまでの夜間用ダイオード誘導灯など、ささいな金物まで現代的で行き届き、てらいなく洗練されている。それでいて、前庭にしつらえた石製骨董かいば桶(かって農村で使われていたもの。庭師、花岡君、宮下君が入手してながくあたためていた) が、現代的な建築を受容して農村の歴史や田舎らしさを香しく匂わせ、外観は城下町らしく質実剛健、軒のないキュービック立体を支える室内と外壁の漆喰塗りは、代々続いている白澤君の仕事で雨仕舞も信頼性に満ちています

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「見学の方々に振る舞った飲み物」

周辺地域に湧く名水は城下町が形成される以前から飲用水として使われ、天保14年刊行の「善光寺道名所図会」に「当国第一の名水」と記述されていて、所有者だった小笠原家臣の河辺与三衛門源池の名から「源池の井戸」呼ばれるようになったそうです。
松本市美術館裏手、「山がた」のそばが旨いのも水温12度のこの水のお陰、気取らない江戸下町風天丼セットはぼくたち皆大ファン。現在も清浄な水が溢れ、遠方からこの水を求める人や周辺の方々を潤しています


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「変形敷地に合わせて無理のない変化が生まれた玄関ホールと居間の接続部分」

下駄箱(靴箱?でしょうね)の戸は、木曽アルテック製、漆塗りの和紙張り、
アトリエM4が制作したお年寄りにやさしいハンドルは、フラットバーと信州産 「はり槐(にせあかしや)」を組み合わせ、鉄を赤めて絹で黒める日本の伝統綿色仕上げをほどこしてあります

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見学会一両日は好天に恵まれて偶然来られたご縁の方々が多く大にぎわい、、自然と人を大切にしていて明るい直志君の人柄がしのばれます。東京から駆けつけた和設計時代の同僚、渡辺さん、地元、青柳さんが会場の案内をお手伝いしていました



直志オープンハウス10.jpg若夫婦寝室の大きな突き出し窓は華奢と機能金物を追求している富山のキマド株式会社製、窓下に、かって松本中心部に引かれて市民に愛された湧水がさわやかな音をたてています

鍛造アルミの照明は前田大作の作品、巾広の厚み40ミリの立派なカナダ杉床材は林友ハウス工業の竹腰さんが探してくれました。やわらかな厚板は本来断熱材で裸足にあたたかく地球にやさしい。このような本物は20年ぐらい経つと輝きだして真価を発揮します

直志オープンハウス12.jpg久しぶりにお会いした青柳さんのお嬢ちゃんは二年生、渡辺さん(旧姓田所美帆さん)は東京で子育て中。初孫を授かった家内と、気持ちのよいキッチンで楽しそうに井戸端会議です


直志オープンハウス04.jpgアトリエM4も特製キッチンシンク、照明、手摺り金物、作りつけ家具造作等をお手伝い、間に合わないんじゃない、、と老婆心小生も楢の自然木テーブルを削りました
直志君のフィアンセ郁子さんもかいがいしくお手伝いです

直志君はじめ、日本の伝統を若者らしい感性で表現するローテク・ハイセンス職人仲間「卯の会」は、松本に移住した当時からの、息子達地元の同級生がメンバー、当日はいい仕事をやり遂げたといったさわやかな笑顔が印象的でした。
その日、静岡にいる弟子石川真帆さんがお施主さんと結婚すると聞いてびっくり、人のつながりを噛みしめた一日となったのです


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お問い合わせ先



2009.12.21

若者たち_信濃毎日新聞2009年12月掲載記事

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若者に自立していく姿をみせてもらえると、僕もこの仕事を続けてきてよかったと思います

昔から 「ものでもひとでもほんものは10年ひとふし」 お陰様でよい年末をいただきました


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「会ってみたいモノつくるひと」木工芸 前田大作さん(上)
信濃毎日新聞_2009年12月17日
聞き手・北沢房子


諏訪市の宮坂醸造アンテナショップ「セラ真澄」のディレクター宮坂公美さんが、江戸指物師の4代目、前田大作さん(33)を紹介してくれました。信州の木にこだわり、信州の美しさを表現しながら、新しい感覚を取り入れた作品を手掛けているそうです。美ヶ原高原に近い、松本市入山辺の前田さんの工房を訪ねました。

 「うちは、江戸指物という木工の伝統技法を受け継ぐ家でして」と、前田さんは折り目正しく丁寧な言葉遣いで話し始めた。

 江戸指物は、釘を使わず木の板を差し合わせて家具や調度品を組み立てる。すっきりとした仕上がりだが、ほぞと呼ばれる板の合わせ目の加工など、見えない所に手間ひまかけて轍密な細工を施しているのが特徴で、江戸っ子の気質と美意識が作り出したものという。
 そんな仕事をする工房が、美ヶ原高原に向かう山道の先、森の中の開拓地にある。
 「曾祖父は東京の京橋に工房を構えていましたが、都市化が進んで職人がものを作る環境ではなくなって、祖父と父の代に鎌倉に移り、さらに25年前に一家でここに引っ越してきました」。父・純一さん(61)が原野を切り開いて工房を造るのを、小学3年生だった前田さんは、わくわくしながら手伝った。
小さい時から自然に家業を継ぐものと擦り込まれ、納品に連れられていっては「4代目」と可愛がられ、迷いはなかった。大学でデザインを学び、オフィス家具メーカーで2年ほど働いた後、父に弟子入り。父は師匠に、母は師匠の奥さんになり、厳しい内弟子暮らしで修行した。「親子だからこそ、よけい厳しい所もありますし、初めは相当ぎくしやくして、母ははらはらしていたと思います」

最初の難関は飽の扱いだ。
買ってきた飽を使いやすい道具に仕立て、きちんと刃がとげるようになるまでに一般的には3年から5年。「木によって刃の立て方を変えるんです。それが分かってくると面白い。僕は小さい時に父がやっているのを見ていて、音が耳に入っていますから、『もう少しうまくいくはずだ』と目標があるんです」
 前田さんは、伝統的な物作りを教えてもらうには、徒弟制度が適しているという。「技術は時間を積み重ねればうまくなりますが、物作りの最終目標や木にどう向き合うかなど、寝食を共にしてようやく身についていく精神性があると思います」
 弟子入りして約10年。言われたことをするのが精いっぱいだったのが、4、5年前から独り立ちし、自分の頭で考えられるようになった。伝統の技で現代の暮らしに合った物作りをし、古来の豊かな生活文化を伝えようとする試みは、次回の話としよう。



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「三城で時を刻んだ弟子達」

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「会ってみたいモノつくるひと」木工芸 前田大作さん(下)
信濃毎日新聞_2009年12月25日
聞き手・北沢房子

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 江戸指物という木工の伝統技法を受け継ぐ前田大作さんは、最近鰹節削りを作っている。
 「小さい時、鰹節を削って母の所へ持っていくのが僕の役割でした。ある世代以上の方は、皆さん楽しそうな顔で同様におっしゃる。でも、僕より少し下の世代から、『何これ』となるんです」
 こういう道具が世の中にあり、これで鰹節を削るとおいしい。そんな暮らし方もいいのではと言いたくなった。
 「現代の生活で、家に置きたくなるような削り器を作らないと、鰹節を削るという行為を消してしまうとの危機感もあります」。昔ながらの物を今の暮らしに合わせて作り、そこに付随している文化や豊かな暮らしを伝えていくのが、職人の役目と感じる。
 今、着物箪笥を作るのも楽しい。「着物を着る方が増えていますが、しまう場所がないんですね。マンション住まいに昔ながらの桐箪笥は合わないです」
 木目が美しい栗材を使ったシンプルモダンな着物箪笥に、着物好きが目を輝かせる。
「今の時代にこういう物が欲しい、という人のための物が作れるかどうかが、工芸の本質だと思います」
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 指物は組み合わせの文化だ。引き出しの内側を桐で作って湿気を逃がしやすくし、外側は樽や桑などの固い木で抑えるといった適材適所の発想がある。最近積極的に使うようになったのが信州カラマツだ。割れたりそったりと評判は芳しくないものの、問題を克服する研究も進んだ。
赤みを帯びたつややかな肌のカラマツは「本当にきれいな木だから使いたいと思っています」。使い道が広がれば間伐につながり、信州の木を生かし、森を守ることにもなる
 前田さんは、箪笥の金物も自ら作る。手ごろな値段でいい金物を作ってくれる職人がいなくなってきたためだ。机や椅子の足に鉄を使ったり、アルミや真鍮で細工もする。
「金属を組み合わせるのは指物の世界で当たり前のこと。木だけでなく、最も適した素材を選ぶことで、物作りが合理的にできるようになってきます」
 2年前に株式会社「アトリエm4」を立ち上げた。m4とは前田家の4代目。「会社組織をつくって、父のお弟子さんだった人たちとのネットワークをつくっていくことで、工芸が未来に残っていく道があると思います」。伝統工芸にとって厳しい時代に、1人でできなくても、何人かが集まればできることもある。
 「僕の代でつぶすというのだけは恥ずかしい。m5になってもらわないと困るんです」



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「昼休み」 2009年冬


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2009.09.10

写真の愉しみ_若者たち_「聞こえないラジオ」

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「文化放送・左久作の修業話」20090902
〜このあと庭で・・ジムニーで聞いた

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