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前田純一 blog

2016.02.21

私の半生⑦

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エレキギターから遠のくとクラシックギターが欲しくなりましたがアルバイトのお金では手に入らない。親に相談すると、音大にいけるよう頑張るつもりなら足りない分を出してあげる、と言います。勉強嫌いに音楽理論や歴史などなどの自信はなく、途端に黒澤楽器のショーウインドーの手工ギターは夢の彼方の泡となりました。
  暫くすると机の上にギターと書かれた封筒が置いてあった。今思うと、母は家業を継がせるのが嫁としての務めだと思っていた節があり、僕はまんまと作戦に引っかかかった感がありました
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2016.02.21

私の半生⑥

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母方の実家は、震災後の質屋業で成功を収め裕福だったので、母達の時代は夏になるとトラックで家財道具を運び、鎌倉や逗子の一軒家を借りて一家で海水浴をしたり花火をして過ごしていたそうです。母は三味線の名取でしたが、僕は長唄とモノ悲しいような三味線の音色が苦手で、その頃日本にお目見えしたエレキギターに夢中になり、チャビーチェッカーやリトルリチャードなど、黎明期のロックンロールが得意でした。夢に見るほどフェンダーのギターが欲しくなり、ある夏休み、親の目を盗んで泊まりがけで地方のダンス教室へアルバイトに行きました。少しのお金をポケットに、夜行電車でおずおずと東京駅へ戻ると、誰もいない薄暗い改札口にポツンと母親が待っていたのです。家までの道のり、エレキギターをかついだ僕と並んで涙ぐんで歩く母親は一言も口をききませんでした。エレキは不良という時代で、以来僕はエレキギターとお別れしたのです06_160126.jpg


2016.02.21

私の半生⑤

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エレキギターから遠のくとクラシックギターが欲しくなりましたがアルバイトのお金では手に入らない。親に相談すると、音大にいけるよう頑張るつもりなら足りない分を出してあげる、と言います。勉強嫌いに音楽理論や歴史などなどの自信はなく、途端に黒澤楽器のショーウインドーのギターは夢の彼方に遠のいてしまいました。

暫くすると机の上にギターと書かれた封筒が置いてあります。今思うと、母は家業を継がせるのが嫁としての務めだと思っていた節があり、僕はまんまと作戦に引っかかかった感がありました

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2016.02.21

私の半生④

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生まれた頃にはホンダが自転車用補助エンジンを発売、新し物好きの父は、早速自転車に取付けて仕事先を回ったり、時に僕や弟を荷台に乗せて10キロほどの母の実家まで走るのを楽しみにしていました。まだ洗濯機や冷蔵庫や石油ストーブはなく、父はその頃は安価な鯵の干物や松茸を、火鉢で炙りながら晩酌を楽しみにしていましたが、木っ端で風呂を焚くのは僕の仕事でした。父はバスの排気ガスに文明の香りがすると言い、皇太子ご成婚からほどなくして、炭屋を家業としていた友達の家がガソリンスタンドに転業したり、東京タワーと首都高速が出来て東京オリンピック開催、ホンダスーパーカブ、ダイハツミゼット、トヨタパブリカやニッサンサニーなどのクルマが発売されてモータリゼーションが幕を開けたのです。 大衆車というふれこみでしたが、まだまだ高級外車を見るような目で父が感心して眺めていたのを思い出します。頭が良くないと指物師になれない、と言いますが、僕は自転車で三浦半島を一周したり、犬と遊んでばかりいて勉強はからっきし、天才肌の父の成績はどうだったのだろうと、この頃になって興味があります

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2016.02.21

私の半生③

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この頃の銀座通りはすでにビルが並んで道路はアスファルト、唯一都電の線路が自然石で敷かれ、普通の庶民の住まいは仕事と暮らし一体の小さな木の家で大勢がワイワイと暮らしていました。電化製品はなかったので夏は汗まみれになって鉋を引く父の背中を見て僕は育ちました。

あるとき父に川崎へ連れて行ってもらうと、都会っ子には山山に囲まれた風景が広がっていて、そこで嗅いだ土の匂い、その中から聞こえる生命の鼓動の感動を今でもよく覚えています。、今のネジ好きは、自転車を組み立てる優しい職人の手さばきに憧れたせいかもしれません

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