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2008.11.11

小さな三本足の椅子

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水平上が、なにをするにも具合がいいことを、田舎に暮らして土をいじって痛感
平野や盆地に町や都市が発展するわけである。
しかし水平な海だって池だってさざ波がたっているではないか・・自然の造形には、直線、まんまる、直角、ピカピカな真っ平らというものがないことに気が付いたのもこのころで、都会で育った僕にはこんな当たり前のことが新鮮だった。

自然の奥深さは、手鉋や鑿や小刀の、さざ波のように美しい手仕事の痕跡を残した仕上げに置き換わり今に続いている。4本脚の椅子が、凸凹のない床、つまり人工の空間でしか役に立たないと、三本脚の椅子を作ろうとスケッチしたのは田舎に暮らした必然で都会では生まれない発想かもしれない。
以前京都で、日用品の美を提唱した河井寛次郎の仕事椅子が三本脚だった記憶と重なり、それまでの作品に野性味が加わって、ころあいの大きさの三本脚の仕事椅子を鉄仕事用に作った。陶芸や鉄の仕事場は土間が最適だが、椅子のがたつきはしまりのない仕事につながりがちである。きちんと腰が据わって気持ちの良い環境で仕事が出来るようになったのは三本脚のおかげだが、この椅子はおむすび形の座面にステッチの美しいヌメ革を張って、以来僕のお気に入りの仕事道具になっている。

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鉄の仕事椅子は、芝生のダイニング、飾り椅子、サイドテーブル、バースツール、半円の座面、轆轤の手跡の栗板、革巻きの背当て、アルミ鍛造の脚部、肘掛けのかたち、座面の高さなど、さまざまなパターンに発展し、2000年和光展へと続いて、スタッキングの副産物も生まれた。
待ちこがれていた春がはじまり、雪が姿を消し始めて大地が黒々と湿り気を帯びてくる。緑と土の匂いが、そよそよとした風にのり心をくすぐり、皆が長かった冬の終わりを歓迎する。庭に出て煙草をふかしていると、羊歯の芽がかすかに風に揺れて、美しく朝日に輝いていた。
 柔らかい芝生にもぐらない脚端のデザインは、鍛造の鉄に真鍮を溶かして装飾した「渦巻き」としてこのとき生まれ、日本の柔らかい畳や床を痛めない椅子やベッドへと発展している。広い面積で加重を支える必然は、堅い床に土足で暮らす西洋にはないデザイン要素で、僕のライフワーク~日本の椅子~の脚端部の特徴となった。小さい体に大きな存在、狭い空間を広く使うことが得意な日本では、方々でお使い頂いていて、大きな体の犬塚弘さんのお気に入りのひとつともなっている。

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2008.11.11

娘の鏡台

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ひところ嫁入り道具三点セットは、桐箪笥、洋服箪笥、鏡台だったが今では住宅空間の建築付随物に置き換わり、皆同じような化粧室で身繕いをするようになった。しかし合理と機能優先は、僕達から生活の楽しみを奪うようでなんとなくさみしい。
女性がお気に入りの鏡の前で化粧する姿は可愛げだが、今はあたりはばかりなく、電車の中でぺたぺたと忙しくやっていて、それが面白くなく小さな鏡台を作ったのはいつごろだっただろうか・・ひとつは結婚時に持たせて娘の寝室で使われている。

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心のこもった美しい布を飾りたいと、こんなハンガーが無骨に付いているが、今は鞄好きな娘のBREEが日光浴をしていたりする。小さな引き出しをつけたが、大切なものの居場所になってほしい。
鏡を下げて角度を変える構造には 燐青銅を使ってみたが、重力と弾力は人力と違い永遠でこわれない。正方の鏡の四隅に銀を飾って古びるアクセントとしたが、磨くといつでも輝きを取り戻すことが出来る。
難しい「かしめ 」の仕事のために、形に合わせて作った鎚を作って備えたがなんどか練習し、やがてうまくいくと、心は達成感に満ちあふれる。

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現代は使い捨てのものを作って、経済を成り立たせる宿命を帯びているが、消費して買い換えることと、豊かさが同義とされて、人の心まで失われてきている



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2008.11.11

スタンドのついた灰皿

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街で煙草を吸うことは不可能になったが、

これをぶらさげ庭に出て、構想を練る時間は

僕にとってはかけがえのないひとときである

伏せた帽子のような形を打ち出すのには鉄パイプを使う。内ズミがきりっと整い、平らな銅板が手跡を残して、静寂の中の鎚音に従い、みるみると生き生きとした曲線に生まれ変わっていく。

黒錆で仕上げたスタンド部分には、そのころ覚えた真鍮に銀を溶かして被せるリングを着けて手掛かりとしたが、年月を重ね、侘びた鉄の黒色と、銀の輝きが対照していて美しい。

煙草を消すための凸凹は、渦巻きを銅線でつくり銀で溶着して、赤い銅と銀のコラボレーションを楽しんだ。


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このころ僕も製図にCADを使いはじめた。

今までの職人の勘仕事を、数値に置き換えるのが新鮮で楽しく、3D空間は三面図ではわからない部分を示唆しているが、頭の中はモーター音が伴奏するディスプレイ上の疑似空間におきかわり、製図は理性だけが先行する作業へと変化した。

コンピューターを使い、設計や伝達手段は便利なものとなったが、デザインは暗黙知ともいわれて感性が優先する。やはり経験値や勘がものをいって ビールでもやりながら夢を見る方が僕には合っている。素材と話ながら夢がかたちとなり、手の内に掴んだ瞬間の感動は昔ながらで機械からは得がたい。

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2008.11.11

HANDS_手のかたちのオブジェ

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「HANDS・1986年」


三城へ移住したころ、子供達の雪遊びは暗くなっても終わらない。

服を乾かすのが忙しく、薪ストーブの横に手袋を乾かすためのハンガーを作った。東急ハンズをもじってネーミング、手の仕事の大切さを思い笑った。子供達は成人して、今では庭で役に立たないオブジェとなっているが、錆びた鉄には家族の過ごした時間が堆積し、懐かしくそのころを甦らせてくれている。



便利で安価、しかし美しくはなく、愛着も持てずに捨てられてゆくものが町に増え、子供の遊びをお金で買うようになったのはいつ頃からだっただろう・・

僕が子供のころ東京湾はまだ美しく、父はお弟子さんと僕達をハゼ釣りに連れていくのを楽しみにしていた。釣り竿を持たされ自転車の後ろにのせられたが、品物を運ぶための頑丈な荷台には、やさしい檜でしつらえた子供用の座席がネジ止めされ、小さな布団が敷かれていた。ものごころがついたそのころの頃の僕にとって、親の背中に抱きつくことは気が引けたが、荷台から落ちるほうがはるかに怖くて、厳格な父の背中に夢中でしがみついた覚えがある。持ち帰った獲物を、父は天ぷらにして僕らに与え、暮れになると母は甘露煮にして、おせち料理に備えていた。

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どの子供にも平等に、自然の中で親と遊ぶ権利があたえられていた時代。

釣糸巻き、ハゼを持ち帰る箱、ゴカイを入れるえさ箱など、すべてが父から子供への愛情に満ちたメッセージと、もの作りとしての思いが込められた手作りの道具類だった。



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2008.11.10

works_鑿目面取りの盆

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澄み切った青空の下冬支度が始まる

薪が真っ二つに木が割れた瞬間は気持ちがよいが

木でものを作るものにとっては悩みの種なのだ


割れることのないように、樹を木目に沿った長い板や棒に一度加工し、再び組みあげることを考え出し、これが強さと軽やかさを求めた指物という仕事の特徴である。しかし木は巾方向にだけ伸縮するという性質を持っていて、指物の盆は見事ではあるが扱いに気を使い、日常には使いづらい。

伝統工藝展に出品していた頃作っていた指物の盆に対して、日常使いの美しい盆を目指すと、この相反する木の性質が災いする。とくに指物は形に制約が大きいこともあって、あるときから盆は彫り物で作ろうということに落ち着いたが、縁の形が難しすぎてなかなか手が出せずにいた。1995年にようやく完成した盆が気に入り、以来この形の盆をいくつも作った。売れ残った栃の盆一枚をみると、僕の宝物となった仕事の記憶が甦ってくる。

普通縁の厚みは7mmから9mmだが、落としても割れないよう15mmから18mmと存外な厚みを想定した。盆の扱いやすさと美しさは縁次第だが、ぶつけやすい木口が割れないような、重い太い縁は余分が残り粗野で下品になりやすい。

取り去り過ぎると貧相になり、仕事は失敗に終わるが、鑿や鉋の刃跡を生かした素早い仕事に迷いは禁物で、確かな目標に向かう決断とスピードと潔さを求められる。

立ち上がりを45度にして手取りをよくすること、工夫した鑿で形に変化を与えるこことと、底を薄造りにすることで、実際の重さと、感覚的な軽やかさと品位を実現しようと図面をひいてはみたものの、こういった勘仕事は想像以上に難儀した。


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縁の鑿目は、刃裏を平らに研ぎ上げる通常の鑿では、接線が神経質になって意に沿わない。上野の光悦にて買い求めた突き鑿の刃裏を、ゆるやかなアールに研ぎ直すことで、ようやくふっくらとしたやさしい満足のいく彫りとなった。

肝心の底は内ズミのラインをキリっと表現する必要がある。普通は引いて使う鉋だが、台尻を取りさった鉋を押して削り多角形の稜線を削り出すことにした。



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「縁朱漆鉋目の盆」

銀座和光展・暮らしからの発想に出品


鉋が削り出すさざ波紋は載せたものがすべらくて具合よく、年月を経てすり減って古美となり、輝きを増して永遠で、このように生まれ変われば、木と漆は安全で人間と共存する素材である。手工具と人間の手が作り出す微妙な手触りに心が安らぐ理由は、人工素材を使う現代の機械仕事のように画一的でないことと、人の不完全さが醸し出す美しさといったものだろうか。完全を求めて個性を失い、不合理で美しくなくなってしまうことと対照的である。飽きのこない工芸品は、機能や視覚上の色や形だけを考えるだけでは完成しない。日本人が培ってきた古い伝統を見直しながら創造に結びつける新鮮な感覚を磨き、大切にしている五感を美しく表現しながら、経過する時間の審査に耐えるという条件を満たさなければならない



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木工芸の特徴は素材への敬意と信頼だが、樹が発揮する孤独で独自な個性は、人為の及ばない、長い時間をかけて創造された自然と神のデザインである。百枚は彫っただろうか、、手許にあった松、栃、欅、栗、桑、楓など、使った木はさまざま。素材に合わせ微妙に太さを変えたり、朱溜、箔貼りの縁に仕上げた。最後の摺漆を終えて僕の手を離れた瞬間、樹は見事に強く美しい盆に姿を変えて見るものを魅了した。僕の満足は、樹というものに果たすことができた責務といったものかもしれない。


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